経営管理修士(MBA)を取得しながらも「倒産寸前からV字回復を経験」した珍しい経営コンサルタント

倒産してしまったら「経営管理修士(MBA)はしょせん実践では使えない…」と言われてしまうと思い、その知識を使いつつ地べたを這いつくばる戦略でV字回復させる。

得意分野は、労働経済学と実践をベースにした「人材育成」と、学問と実践のバランスを重視した「マーケティング」。 現在は、父親の急死に伴い、家業である株式会社 小西屋の代表取締役として経営に携わる。また、それまでの 「倒産寸前からV字回復」した経験や経営経験を活かし経営コンサルティング業務を行う。

クーデターと企業買収騒動…

しかしながら、その家業の経営も一筋縄ではいかず、元々先代社長(父親)が決めた後継者がいながら、急きょ畑違いの業界にいた息子が経営に入ることになり、(実は、経理をしていた母親と父親が決めた後継者から現状では経営者が不在なので「今すぐ戻ってきて経営をしてほしい」と要請があったのだが)社員から猛反発を受ける。

その猛反発からクーデターや企業買収騒動が起きる。例えるなら、経済小説に出てきそうな出来事ばかりであった。具体的には、役員の過半数が親族ではなくなり、もし書類に判を押してもらえなければ、当時経理を担当してた母親も自分も排除される状況に陥る。

あげく社員からは「あなたを経営者とは認めない」と言われたり、「あなたには経営ではなく、現場の一作業員として働くことをみんなが望んでいる」と言われたりする。他にも「お前の父親は私腹を肥やしていて、俺たちにお金を分配していなかったから、お前は全部俺たちにお金を分配しろ」と言われたり、父親が生前乗っていたクルマも「お前が乗ることは許さない」と言われたりした。

正直に言えば、怒り狂いそうな気持ちであったが、冷静に企業価値を算出して時価総額を提示し「この会社を買いたいなら○億円を現金で用意してください」「父が私服を肥やしていると思ったなら、他の会社に行ってください」「現場で働き続けても良いが、それで経営ががたつき給料がでなくなっても恨まないでください」…などなど、中には実力行使もあったが、それも含め様々な対応をして全てを乗り切る。

その後は、先代社長の経営方針を、全社員で忠実に守りつつ、時代に合わなくなった部分は、適宜改善することで、実質6年連続黒字を維持する。売上規模も気がつけば、先代社長の時期よりも1.5~2倍になる。

また、現在は「社員の強みを活かす」ことを、他社よりももう一段深掘りし「社員の輝ける業務範囲を明確にし、その中で熱中できる仕事に配置する」ということを実践中。これまでの利益追求型の企業から、「熱中する仕事」を通じて人生の幸せを追求する企業へ変革中。

これまで約12年の歩み…

2018年8月より本格的に経営コンサルタントとして活動開始するまでは、先輩とともに起業メンバーとして参画した組織人事コンサルティング企業で、営業兼コンサルタントやwebマーケティングを担当し。その後、個人投資家育成サービスの企業で、マーケティング担当役員として活動。

上場企業を中心に「年間500社以上」の集客に成功

2007年9月、組織人事コンサルティングで、webマーケティング黎明期に近い時期に、ノウハウゼロの状態からwebマーケティングに取り組む

コピーライティングやリスティング広告(PPC)、DMなどを駆使し、業界初とも言えるwebマーケティングの仕組みを確立。従業員人数1000名以上の上場企業を中心に「年間500社以上」の集客に成功。また、営業では、ソリューション営業を得意とし、コンサルタントの役割も果たす。

その一方で、誰も嫌がる「テレアポ」を得意とし成功率「3割」を維持する。その成功率の高さから、創業初の「コネなし受注」を上場企業から獲得。社名はもちろん無名、会社の実績もほぼゼロに等しい状況、先輩の手助けもゼロ、そして…

実はそれまでに営業経験ゼロの中からの受注は大きな出来事であった。それからは、順調に受注を重ねつつ、コピーライティングのテクニックを取り入れた独自の提案企画書の作成も行う

預金残高100円台から約4000万円へのV字回復…

2009年8月より、それまでに培ったwebマーケティングのスキルを、個人投資家育成サービスの企業で展開。マーケティング担当役員として従事し、500円から300万円までの幅広い価格帯のサービスを販売。一度のプロモーションで2000~3000万円の売上を何度も達成。

他にも、いわゆる「販売開始して○時間以内に完売…」や、「申込み用紙を配布して、数秒で申込みの列が…」など、様々な記録とも言うべきことがあるが、一喜一憂することではないので、あまり覚えていない。恐らく、掘り返せば、まだまだあるであろう。なお、あくまでも目安だが、一人での年間売上は約1億円を3年連続で達成。

しかし、全てが上手くいったわけではない。それまで培った組織人事コンサルティング業界で手法は、B2Bの業界でしか上手くいかないものだと気がつく。B2Cの業界に飛び込み、当初は良い結果が得られたものの、すぐにその結果は悪化。

それに伴い2009~2012年は、倒産寸前の非常に苦しい時期を味わう。給料は最初の約3ヶ月を除き、ほぼゼロの状態が1年間続く(あっても5万円未満、10ヶ月はゼロが続いた)。しまいには会社の預金が100円台になり「もうダメだ…」と地獄を味わう

だが、その地獄の時期も含め、地道なファンづくりとマーケティングシステムの構築が実り、2013年には預金が100円台から約4000万円にV字回復。その後、これらのマーケティングシステムが安定をもたらす。

ちなみに、今でも給料ゼロを脱却するきっかけとなったプロモーションと、その後に受け取った給料20万円の感覚が忘れられない。飲食店で3000円くらいのコースを、安心して注文できたあのときの喜びと、それまでの給料ゼロの時期は、非常に良い経験であった。

他にもここではマーケティング分野だけでなく、企業としての「ミッション・ビジョン・バリュー」の策定、人材育成システム、人事評価制度の構築、社内インフラの整備など、経営資源である「ヒト・モノ・情報」の分野に携わり経営をサポート。

やはり、いくらい優れたマーケティングシステムがあっても、そのシステムを動かすのは「人」。その「人」がガタついては、システムが上手く作用することがないので、これらの分野に深く携わっていった。

想像を絶するマンツーマン指導…

なお、経営コンサルタントとしてのスキルの基礎は、2007年に法政大学大学院で経営管理修士(MBA)の取得を通じて培った。ここでは、かつて「ノーベル経済学賞に一番近い日本人」と言われた日本における労働経済学の第一人者「小池和男」先生の最後の弟子として、1年間マンツーマンで指導を受ける。周囲からは「小池先生を独占できるなんてうらやましい」と言われたが、その指導は想像を絶するものだった。

自分の経験したものや自分の考えではない、本から読んだものを話したり書いたりすると「全く相手にしてもらえない」という厳しい指導を受ける。ときには、ドラマの一場面にあるように、提出した50枚ほどのレポートをパーっと投げられ、50枚の紙が部屋を飛ぶことも。

そのような中、「PM理論」と「リーダシップ理論」を組み合わせた人材育成理論を考案したところ「これは発明です!」と、小池先生が興奮するほどに。全く新しい理論を考案することに成功。ここまでの過程から「自分だから言える意見を言わなければ、そこには価値がない」ということを学ぶ

この考えは、それ以降、記事の執筆やサービスを作るときに活かされている。また「問題の本質を追求する」「何歳になっても学び続ける・探求し続ける」姿勢を学ぶ。

初年度に1円でも黒字がでない事業に価値はない…

他にも、この大学院にはユニークな先生がたくさんおり「シリコンバレーの超有名企業のアドバイザー」「人工知能の先駆者」「カーナビの生みの親」「ファイナンスのスペシャリスト」などなど、他の大学院では絶対に出会えない先生方とめぐりあい、直接指導をいただいた。

さらに、この大学院では「新規事業を計画し投資家から出資をしてもらう」ことを最終目標にしていたので、投資家へ直接プレゼンテーションする機会に恵まれる。その投資家の一人から言われた今でも忘れない言葉…

「初年度に1円でも黒字がでない事業に価値はない」当時、新規事業の企画と言えば、最初の2~3年は赤字で、3年目あたりでようやく黒字とうのが当たり前だと思っていただけに、とてつもなく大きな衝撃だった。

他にも「企画書をもってくる段階で、ほぼ受注に近い見込み客もいないようでは、その事業に価値はない」と言われ、衝撃を受ける。しかし、今思えばそれは正しいことで、それを25歳で知ることができたことに非常に感謝している。

これらの基礎や年齢の割には様々な修羅場経験があることから、顧問先からは、経営者の視点で行う、人材育成やマーケテイングのコンサルティング手法に定評がある。なお、2018年9月時点で顧問数の上限に近づき、顧問契約がなかなかできない状況。

気がつけば、その生き方に注目が…

気がつけば、この約12年の歩みに加え、生き方そのものに注目され、2018年11月より、各種メディアでの執筆開始。それまで、自分が思うがままに生きてきただけなので、その生き方が注目されるとは全く思っていなかった。。。

小さなころから「○○をするには、今から○○と○○をしよう」と、逆算して考えつつ、20代半ばからは眼の前にあるチャンスを絶対に逃したくないという思いで生きる。そして、33歳のとき父親が何の前触れもなく急死したことで「もう、自分の人生は人のためのものになった…」と思い、それを受け入れて過ごす。

その一方で、祖先をみても短命の家系であることを意識し「あと30年で何ができるか?」「もう、人生のカウントダウンは始まっている」と強く意識する。ただし、、、そこに数年間矛盾を抱え、ジレンマに陥り、一時は「うつ病」と診断された。だが、精神科医が、かつて自分が販売していたコーチングのコーチよりも、ずいぶんとイマイチだと気が付き「こんな人に診てもらいたくない」といく気持ちになり、うつ病を克服。

その後は、自分の人生は人のためになったのではなく、「自分の使命は、関わる人に幸せになっていただけるようにサポートすること」だと考え、そして受け入れる。それにより、以前にも増して自然体になり、今に至る。「あるがままを受け入れる人生」…そんなところであろう。そして、それが私のあり方である…

【ミッション】
自分と関わる人が
幸せな人生を過ごしていただけるように、尽くす

ロイスのコーチングを受ける中でより色濃くなったもの。家業を経営する中で、経営者は人の人生を大きく左右すると感じた。現役中のときは、1/3が仕事の時間。引退後は、仕事で何を得たかが影響。

それを考えると、経営者は本当に責任が重く、それを十分に受け入れなければならないと考える。だから、常に考えるのが「人の幸せ」…でも、人に贈れる幸せは自分の幸せの深さの分だけ。人だけでなく、自分も幸せな人生を過ごせるように、人にも自分にも尽くし続けたい…

【ビジョン】
20年後の日本を発展途上国にしないために、
幼児教育が当たり前の日本にする

あなたは「20年後の日本」を想像したことがあるだろうか?あなたの20年前を思い出してほしい。私の20年前といえば、まだポケベルがメインの時代…それが今やスマートフォンの時代。想像を絶する時代の変化だ。そして、今、諸外国では人材の強化を目的に、一番脳が発達する時期「0~6歳」の教育を重視している。

一方、日本はその実証データがあるにも関わらず、その流れから遅れをとっている。つまり、今では想像できないが、ポケベルからスマートフォンに変遷したように、遅れをとっている日本は、「0~6歳」の教育をすでに実施している諸外国に、使われる立場になるかもしれない。

そのとき日本は、こうなるであろう…近隣国が日本人を低賃金でルーチンワークだけやらせる状態に…私たちの世代は、惰性で20年後以降も生きられるが、次世代は、惰性では生きられない…そんな世の中にしないためにも、このビジョンを掲げる。

【バリュー】
素直で謙虚に・中庸・自然体

眼の前にあることを「あるがまま」に受け入れられるよう日々心がけていること。松下幸之助氏が著書の中で「ネクタイが曲っいると言われた場合、鏡を見れば、だれでもそれは分かる。ただ、ネクタイは鏡を見れば、すぐに分かるが『心はそうはいない』…。心の鏡は『素直さ謙虚さ』である」と。

ミッション・ビジョンを達成するには、自分の心が曲っていないか常に見ていなければならない。それを確認する鏡として、「素直で謙虚に」、そして右でも左でもない「中庸」をバリューに掲げる。また、心が曲がると自分を大きく見せようとして「かがみ」の「が=我」が出てしまう。その瞬間、私は私ではない「何者か」になり、自分が何者かに支配されてしまう。

反対に「が=我」をなくせば「鏡」は「かみ=神」になる。決して神になりたいということではないが、自然体でいることは、「が=我」をなくす重要なことだと考える。ただ、その一方で、もともと自分を大きく見せたり、無理をするタイプではないという側面も…。とはいえ、いつ忘れるか分からないのも事実。だから、このバリューを掲げる。

プロフィール動画

どうやって、預金残高100円台の倒産寸前からV字回復をしたのか?その秘密を公開したプロフィール動画です。一緒に、私の恥ずかしい過去を公開しています。今ではこうやって平然と過ごしていますが、きっとあなたの想像以上の「どん底」が、この動画に隠れています…

もっと、秋山大介のことを知りたい方は、次の生い立ち「生まれたのに信じてもらえない…」も、ぜひお読みください…

1 2 3 4 5 6 7