人事戦略を根幹から覆す「不都合すぎる真実」…

単刀直入にお伝えしましょう。今日の内容は人事戦略を根幹から覆す「不都合すぎる真実」です。

私は、大学時代は組織行動論という学問をベースに、人のモチベーションをどうやったら維持し、向上することができるかということを研究していました。これに興味を持った理由は、そのときは「目標をどう設定するか」や「リーダーがどのような対応するか」で、人のモチベーションが変わるからでした。

『影響力の武器』がきっかけ

ただ、もう少し根本を掘ると…多くのマーケターやコピーライターが推薦する『影響力の武器』という本を、大学一年生のとき研究していただからでした。これは、組織行動論を勉強するベースとして、人間心理を勉強するために、先生から与えられた課題でした。

ですが、これが非常に面白い。勉強すればするほどハマってしまい、気がつけば、ちょっとした言葉で人の行動が変わるという事実を知ったのが、このモチベーションに興味を持った原点でしょう。特に、その一つがよく見かける話かもしれませんが、ズラーッとコピーに並んでいる人がいるのに「先にコピーとらせてください!」というよりも、「『急いでいるので』先にコピーとらせてください」といったほうが、承諾を得やすいというものでした。

これおかしいですよね?

これおかしいですよね?冷静に考えれば。だって、理由になってないですもん。しかし、人間心理はこの理由になっていない理由に納得してしまい、列ができて順番待ちをしていたにも関わらず、割り込ませてしまうという研究結果があったのです。そんな話がきっかけで、私は個人の感情の動きに興味を持ち、そしてその対象が組織に変化し、組織行動論を学びました。

そのあとは、新卒で卒業した会社で、さっそく学んだ知識を活用できる場があったので、試行錯誤しながら知識を実に変えていきました。そして、それから2年後、私は改めて一人の人材を育成することに興味を持ち、大学院で、今度は「労働経済学」の視点から、人材育成を研究しました。もちろん、そのときの研究のベースは「だれでも可能性はある。だから育成方法で人材はどこまでも成長できる」というものでした。

不都合な真実

ですが…その後、実際に組織人事コンサルティングの仕事につくと、人材育成の世界では「入社してからでは遅い…だから、幼児からはじめなければ」と思っていることが分かり、それが不都合な真実であったことが分かりました。ただ、この不都合な真実は、それから時を経て約10年後に「誤った思考」だということに気がついたのです。そうです、これが人事戦略を根幹から覆す「不都合すぎる真実」なのです。

人事戦略を根幹から覆す「不都合すぎる真実」とは?

これは本当に根幹から覆す「不都合すぎる真実」です。その理由はなぜか?それは、確かに幼児から正しい思考に基づく教育をしなければならないのですが、その幼児の年齢が世間の思う年齢よりも遥かに早いということです。さて、あなたは何歳から正しい思考に基づく教育を受けないといけないと思うでしょうか?

小学校低学年でしょうか?それとも中学生でしょうか?いや、幼稚園生でしょうか?それとも胎児の段階からでしょうか?0歳でしょうか?挙げるとキリがないですが、あなたは何歳だと思うでしょうか?

注目!◯歳までに正しい思考に基づく教育を受けないと…

答えを言います。その分かれ道は「6歳まで」です。ただ、できれば「3歳まで」に正しい思考に基づく教育を受けないと、大人になってから手をつけても、もう手遅れになってしまうのです。

これは科学的に完全に解明されていないので、イメージですが、0-3歳の間に、人間の脳の資質は70%完成すると言われています。そして、6歳までに90%、12歳でほぼ100%と言われています。ちなみに、科学的に完全に解明されていないとは言っても、脳科学で立証されている年齢や、教育経済学の観点で見ても、この「6歳までに90%」というのは揺るぎない事実として証明されています。

だから、証明されていないのは0-3歳に70%まで伸びるというところでしょう。もちろん、これは個人差がありますし、男の子か女の子かでも違います。女の子は、男の子よりも脳科学的に見て早く成長するので、早く完成する可能性があります。もしくは、男の子のほうが遅いといったほうが良いでしょうか。このあたりは、両方の性別のお子さんがいる方は、強く実感するでしょう。

6歳までで、ほぼ決まってしまう

つまり、教育学、脳科学、教育経済学の視点から見て、共通して言えるのは「6歳までで、ほぼ決まってしまう」ということです。そして、0-3歳に70%の数字は別としても、赤ちゃんの成長スピードを考えれば、ここで一気に伸びるのは現実的な子育てから実感できるでしょう。私自身、息子の成長スピードを見て、何%か分かりませんが、とんでもない成長であるのは分かります。

だから、この6歳までに「何をするか?」が、その後の人生を大きく変えてしまうということです。しかも、このときに「どんな教育をすると、40年後の人生が上向くか?」という研究が、アメリカで行われました。その結果を見ると、きっとあなたは「今すぐ始めなければ!」と思うことでしょう。実際、私も1歳の息子がいますが、そう思いました。

どんな教育をすると、40年後の人生が上向く?

その研究内容と「どんな教育をすると、40年後の人生が上向くか?」の「どんな教育」の部分は次回お伝えしましょう。この研究結果は衝撃的です。もしくは分かりやすいです。または、なぜこの研究結果が、日本では語られていないのか?不思議に思うでしょう。

そうそう、一つ重要なことを言い忘れました…

人事戦略を根幹から覆す「不都合すぎる真実」とは、本当に会社にとって良い人材を確保し会社を支える人材になってもらうには、実は小学生や幼稚園生では遅いということです。70%の数字は別として、ただそれくらいの伸び率のインパクトのある0-3歳で何をするかが非常に重要だということです。

これが不都合過ぎる真実

だから、会社に入ってから「◯◯を身に付けろ」と言われても、それはとっくに難しい状況で、0歳からが勝負だということです。もちろん、何歳になっても身に付けることはできますが、ただ、その可能性はどんどん低くなるということです。

つまり、今の人事戦略は、0歳から正しい思考に基づく教育を受けていない人を対象にしている時点で、もう難しいということです。コップの中の色が何色かに染まっていているので、どれだけ会社で努力しても、限界があるうえ、時間がかかってしまうということです。

今の人事戦略は、常に博打の世界…

ということは、経済学視点で見れば、それは博打の世界になってしまい、合理的意思決定の視点で見れば、全く合理性がないということです。だから、この話は人事戦略を根幹から覆してしまうのです。

あっ…ちなみに、今さら言っても印象に残らないかもしれませんが、これは根幹から覆すだけで、現状を否定するわけではありません。脳科学的に見て、大人からでも十分に成長することはできます。ただ…それでもそのためには小さな頃に「好奇心」を身に付けていないといけないという条件があるようです。

う~ん、ということは、やはり小さな頃に決まってしまうということですか?難しいですよね。この話。だから、経営者としての私は、今は今として捉えつつ、未来はこの0歳からの話をもっと日本全体で共有して教育を進めていくべきではないかな~と思うところです。

では、次回はいよいよ、気になる研究結果の話をしましょう。

ー秋山大介

ってか、俺の練習付き合って。

「いや、結局あれなんですよ、秋山さん・・・中学受験って、私の塾に入る段階からもう決まっているんですよ。
入った段階で優秀な子は、そのまま優秀です。微妙な子は微妙です。だから、実は塾もいかに優秀な子どもを入れるかが勝負なんですよね。

もちろん、入る段階からと言っても、伸びる子もいます。ただ、スタートラインが違うので、優秀な子と微妙な子が同じ時間勉強するので、どうしても結果は変わらないのですよね。」

学習塾の不都合な真実

これは中学受験の塾を経営している方の言葉です。いや~、これは衝撃的でしたね。年齢に関係なく塾って、みんなの成績を上げるものかと思っていたら、これが塾の不都合な真実のようですね。でも言われてみれば、そうですよね。単に、私が幻想を抱いていただけで、冷静に考えればよく理解できます。

ただ、ここで注意しなければならないのが、彼は「努力がムダとは決して言っていない」ということです。あえて才能という言葉を使えば、才能がありながら努力しない人は、才能がなくても努力している人に抜かれてしまうとも言っています。

つまり、彼の塾では、全員が努力し、勉強時間を時間管理しているので、全員が同じ時間勉強すれば、最後は才能のスタートラインがどこかで決まってしまうということです。そう考えると、ホントそうだと思いますよね。

私の情けない過去の話…(T T)

私の情けない過去の話を言えば、私が今も続けているバスケがそうですよね。私は中学生のとき弱小チームで、補欠という最弱王ともいえる存在でした。そんな私でしたが、バスケが好きだったので、高校も続けました。ただ、高校は一応進学校でバスケが強いチームではなかったので、高校に行けば、試合に出られるかな~なんて思っていたのです。

しかし…現実は違いました(汗)高校に入学すると「あれ?この人どこかで見たことある!」「あれ?この人も…」「ん?あれ、あの人か?」という具合に、なぜか私の学年は宇都宮市選抜メンバーがそろっていました。スポーツ推薦はなく、普通に受験しないと入れないので、単なる偶然でした。

ま~、そんな感じでしたので、それなりに強豪チームになり、練習もめちゃめちゃ厳しかったことを記憶しています。とはいえ、専門の監督がいなかったので、自分たちでメニューを考えたり、最新のトレーニングを調べたり、その頃はNBAが放送されていたので、それを見て研究したりしていました。そして、そんな中、このような出来事がありました。

ってか、俺の練習付き合って。

「秋山、お前何本打ってから帰ってる?ってか、俺の練習付き合って。」

と、同級生に言われました。彼は、元宇都宮市選抜のメンバーです。なぜか、彼は私を気にっていて、私に練習を付き合ってくれと言ってきました。ただ、付き合うと言っても、彼のシュート練習のリバウンドを取って、パスする役割です。彼の一言がきっかけで、私は彼の練習に付き合いました。

そして、重要なのがこちらです。「秋山、お前何本打ってから帰ってる?」です。正直私は、全く答えられませんでした。だって、シュート練習してないに等しかったですから。そのとき彼にこう言われました。

「最低300は打たないとな~」

と。お~、300か~と思いつつ、私は愕然としました。そして、気が付きました。彼は選抜メンバーになるくらいです。だから、聞きました。

「ね~、もしかして中学のときからシュート練習やってから帰ってるの?」

「あ~、やってるね~。で、そんときの相方いないから、秋山頼むよー」

その日から練習開始

と。もう私は反省ですよね。というより、もう過去の時間は取り返せないので、今から動くしかありません。ですので、私はその日から3ポイントシュートの練習を繰り返しました。ただ、300本という本数にはこだわらず、彼と相談して全方向から決めてから帰るということを開始しました。

ちなみに、全方向というのは、3ポイントラインに沿って、バッシュ1足分ずつ移動して1本ずつ決めていく感じです。だから、300本かどうかは分からないですが、結構な本数は打っていました。そんな感じで彼と部活引退までずっと続けていた記憶があります。

で、そんな感じでしたので、彼が試合中シュートが入らないと、試合中に「角度違う?」と聞かれ、「低いから、もう少し高く!」という感じで話していました。彼のシュートを私も何本見たか分からないので、シュートの角度を見て修正ポイントが分かるようになっていました。

この差は永遠に埋まることがない…

さてさて、バスケ話をすると止まらなくなるので、ここで止めますが(笑)…実は、この話全くもって、塾の話と同じです。彼は中学生のときから毎日300本近くシュートを打っていました。一方私は…中学生のときシュートを打っていませんでした。

その二人が高校に行きました。さて、彼と私のスタートラインはどうでしょうか?これは愚問ですよね。ですよね、もう圧倒的に差がついてしまっています。しかも、彼は高校に入っても、努力を継続しています。一方私は、高校から彼に言われるままに練習をはじめました。

ということは…この差は永遠に埋まることがないでしょう。まさに、これが塾の経営者の言葉なのでしょう。だから結局私は、彼以上の努力をしない限り、彼を超えることはありません。でも、彼は努力を重ねています。これでは、とうてい彼に勝てるわけはありません。

まさに、これがタブー

ただし、注意していただきたいのは、決して私は努力を否定しているわけではありません。私のような人間は、努力し続けなければ、何も残らなくなってしまいますから。ただ、自分より早く努力している人には、出会ったときからスタートラインが違うということに、高校を卒業して20年経った今、こうやって気が付かされました。

つまり、こういうことでしょう。この「人材育成の世界でのタブー」は、まさにこの話なのではないでしょうか?

「結局、幼児教育から始めないと会社員になってから良い人材に育成しようとしても限界がある」

会社員になったとき、「新社会人」というカテゴリーでは同じスタートラインですが、すでにそれまで様々な人生を各々が歩んでいるのですから、その時点からもうスタートラインが違ってしまっているということです。だから、入社時に優秀な人は、そのまま優秀で、当落選ギリギリラインだった人は、やはりそのままの可能性が高いということなのでしょう。

6割は2割に成長できるのか?

人事の世界では「2:6:2」とよく言われますが、トップ2割は放ったらかしで育つので、真ん中の6割を2割に近づけたいという要望が多くあります。でも、これまでの話を踏まえると、おそらくトップの2割と真ん中の6割には、すでにスタートの時点から差があるのでしょう。

そして、これはあくまでもイメージですが、トップの2割の人は努力し続けているでしょう。反対に真ん中の6割の人は、マチマチでしょう。そう考えると、スタートラインが、そもそも違うのですから、6割の人が2割に行くのは困難な話です。

ただ、そうは言っても人材への投資は不可欠です。だからこそ、人事の人たちは、2割に行けないのはわかっているが、6割の人をできる限りレベルアップしたいというのが本心なのではないでしょうか。しかしながら、ここはすぐに結果が出る層ではありません。そういった意味では、人事側も「根気がいる」という前提で注力しなければならないのでしょう。

事実を受け入れた投資判断

ちなみに、一つ補足しておくと、だからと言って私はその6割に投資してもムダだとは考えていません。不都合な真実を受け入れて、どのように企業の限りある資源を配分するかを考えなければならないと考えています。早く伸びる人に多く投資するのか、それとも時間はかかるけど人数が多い人に投資するのかは、各企業の判断だと思っています。実際、私も経営者として、それを考えながら人事戦略を立てています。

しかも、これは一見ドライに見えますが、その人その人の人生を考えたら重要なことです。海の魚や川魚の話を以前しましたが、その人が望まない投資をしても、その人にとって負担になり、かえって人材をマイナスに導いてしまいます。そういったことがないように、この不都合な事実を受け入れながら、投資判断をしなければならないのでしょう。

話は急転しますが…

このように、人材育成の世界では「入社してからでは遅い…だから、幼児からはじめなければ」と思いつつも、現実を否定してしまうことになるので、これがタブーとされる現実があります。だから、結果として、人材育成関連の企業を創業した方は、ある程度軌道に乗ると、後継者に継承し、自身はNPOなどを立ち上げて、表舞台から身を引いたように幼児教育に移行する人が多いのかもしれません。

ただ、話は急転しますが、私もここに、これまで全く知らなかった落とし穴が存在するとは思いませんでした。おそらく、幼児教育と言うと、幼稚園生か小学校低学年を想像する人が多いでしょう。でも、それでは遅かったのです。実は、この幼児教育は誰もが想像しない時期から始めなけれならないということが、アメリカで40年を費やした研究結果から、ある事実が見えてきました。今度は、その事実についてお伝えしましょう。

ー秋山大介

コンサルタントが絶対に言わない…「人材育成の不都合な真実」その.1

From;秋山大介

「大人の教育はコップの中の水の色を変えることだから難しい。」

これは企業での人材育成の例え話で使われる言葉です。そして、この話には続きがあります。それがこれです。

「子どもの教育は空のコップの中に水を入れるから吸収が良く、結果が出やすい。だから、乾いたスポンジのようにドンドン吸収すると例えられる。」

お~、この例えは分かりやすい!

この例え話、上手いこと表現していますよね。私も約12年前に聞いたときは「お~、この例えは分かりやすい!」と納得しました。「そっか~、だから大人の教育は難しいのか…」と、心底納得したことを記憶しています。とくに、そのときの私は組織人事コンサルティングの仕事をしていて、中でも人の成長をサポートする人材育成分野を中心に活動し始めた頃だったからです。

確かにそうですよね。人が会社で働き始めるまでに、今であれば高卒以上で社会に出るのが多いので、20年近く会社のところで過ごしています。生まれ育った地域だったり、学校であったりと、入社前までは千差万別です。ただ、そこで共通していることがあります。

子どもの可能性は無限大

それが、それまでの過程で「たくさん学び吸収する」ということです。特に、お子さんがいらっしゃる方は分かりやすいと思いますが、「子どもの可能性は無限大」という言葉が所々で言われるように、日々学び日々成長していきます。

例えば、私で言えば、出張で数日間家に帰らなかったうちに、つかまり立ちしてたなんてこともありました。他にも、2日前は歩くのがおぼつかなかったのに、ドンドン歩いていたなんてことも。ストローで飲めなかったのが、いきなり飲めていたりと…挙げればキリがないでしょう。このように、子どもは、乾いたスポンジであり、空のコップなので、どんどん水を吸収したり、水が入っていくものです。

一方、大人は…

一方、大人は…いくら新入社員と言っても、もう大人です。生まれたての赤ちゃんではありません。もう、彼らは乾いたスポンジでもなければ、空のコップでもありません。それまでの過程で、色々学んできましたので、もう水が溢れています。もちろん、それだけだったら良いでしょう。そこで厄介なのが、これです。

「すでに水ではなく、色のついた水になっている」ということです。人間は大人になるほど水がいっぱいになるので、もう吸収の余地がなくなります。しかも、そこに「色」が付きます。その色とは、「思考のクセ」「行動のクセ」など仕事に直結しそうなものから、「地域性」「思想」など、そういったものもです。

だから、正直それぞれが何色か分からない色がついています。少なくとも言えるのは、これから水に色を付けるのではなく、すでに色がついてしまっているということです。ただ、唯一の救いは、例えるならその色が半透明くらいの色ということでしょう。それこそ、これが年齢が上がれば上がるほど、その色は濃いのではないでしょうか。

大人についた色を変えるには…

ということで、この例えで教育を考えると分かりやすいでしょう。結局、大人は色がついてしまっているので、教育によって何かを変えるのは大変だということです。例えば、コーヒーをメロンソーダの色に変えるのは、かなり大変だと思います。いえ、とんでもなく大変でしょう。化学反応式のようなアプローチでもなければ、どにもなりません。それは容易に想像がつくでしょう。

だから「どんな水を入れるか?」が重要

反対に、子どもの教育はどうでしょうか?空のコップです。ですね、水をコップに注ぐだけなので、カンタンです。むしろ、色がついていない分「どんな水を入れるか?」が非常に重要になってきます。湧き水を入れるのか、炭酸水を入れるのか、温泉水を入れるのか、ミネラルウォーターを入れるのか?軟水か?硬水か?水道水か?などなど、その入れた水によって、その後の人生が大きく変わるでしょう。

これまた例え話ですが、料理をするには◯◯水が良いとか、お酒の水割りには◯◯水が良いとか、コーヒーには◯◯水が良いとか、飲料水には◯◯水が良いとか…それぞれの目的によって水の質が変わってきますよね。まさに、それです。だから、人材育成の世界ではこれがタブーとしつつ「理想論」として、裏でこんなことが語られていました。

人材育成の世界でのタブー

「結局、幼児教育から始めないと会社員になってから良い人材に育成しようとしても限界がある」

実際、私も人材育成に関わると、痛感しました。だから、私は一時期「学校を買い上げられるほどお金を持ちたい」と考えていました。お金を持つというと表現が悪いかもしれませんが、目的はあくまでも学校を買うことです。学校を買って、社会人になっても成長する人材を輩出できる学校を作りたいと考えていたのです。

でも、実はこれつい数ヶ月前まで、本当にそう思っていました。だって、「どんな水をいれるか」が勝負なのですから。幼稚園からあるようなところを買えば、今の人材育成の限界を打破できると考えていました。

しかし、、、この考えが実は間違っていることに、ある人との出会いで気がついたのです。実は、それがコンサルタントが絶対に言わない…「人材育成の不都合な真実」だったのです。

ー秋山大介

私の大きな過ち…

From;秋山大介

「今いる社員は使えない…どこかに優秀な人材はいないのか?」

「うちの社員は勉強しない…どこかに優秀な人材はいないのか?」

「うちの社員は安定に満足してる…どこかに優秀な人材はいないのか?」

最近は、私も人付き合いを選び、このようなことを話す経営者とは付き合わないようにしているので、あまり耳にしませんが、経営者が集まると、このような話は日常茶飯事でしょう。一言でいえば「今いる社員は自分の思い通りにならないから、思い通りになる社員が欲しい」ということなのでしょう。

あなたはどちら派?

さて、あなたは彼らの欲求に対して、どのような思いを抱くでしょうか?その通りと思う人もいれば、そんなことはおかしいと思う人もいるでしょう。では、私はどのような思いがあるかというと、ズルいかもしれませんが「中庸」です。

ただ、以前の私であれば、これについては「人に対して使えないなどという言葉は、なんたることだ!」というところだったでしよう。私は大学時代は「人への動機づけ」を研究し、大学院時代は、その動機付けと人材育成を関連させ「労働経済学の視点の人材育成」を研究していました。

もちろん、そのときの私の考えは「人には無限の可能性がある」というものです。また、「人が育たないのは育成する側の問題」と考え、マネジャーにどうやったら、人の育成方法を学び実践できるかと思い、管理職側へのトレーニングの重要性を説いていました。

私の隠された生い立ち…

実は、これ…私の過去の経験がもとになったものでした。それには、私の生い立ちが関係しています。私は、1980年1月17日に生まれました。ただ、私も最近まで全く知らなかったのですが、私は今でいう赤ちゃんの集中治療室NICUに1ヶ月ほど入っていたようです。

なぜなら、、、私は約2ヶ月未熟児で生まれてしまったからです。自分が未熟児で生まれたのは、母からよく聞いていたのですが、ドラマなどで最近よく登場するNICUに入っていたのを知ったのは最近でした。そして、問題はここからでした。やはり、未熟児であった私は胎児の段階で発達すべき部分が発達しきれていなかったので、脳の発達が遅れていたようです。だから、両親は医師からこう言われたようです。

知能の発達が遅い…

「お子さんが、周囲の子と比べてできなくても、見守ってください。周囲のお子さんの知能に発達が追いつくのは小学校に入学する頃なので。」と。あっ、一つ忘れていました、生まれた直後には、「やれることはやりました。あとはこの子の生命力に掛けましょう」とも言われたようです…って、今こうお話しして気が付きましたが、けっこう深刻だったのですね(汗)

と、そんな感じでしたので、私は字が書けるようになったのが遅かったり、絵はとんでもなくヘタだったり、計算が全くできなかったり、とにかく発達が遅い子どものようでした。それこそ、あまりに遅い状況で、祖父が私をかわいそうに思ったようで、せめて名前くらいは書けないと…と思って、毎日ゆっくり教えてくれたようです。

とはいえ、私は全くそんな過去は知らず、すくすく育ったのですが、ある日こんなことに気が付きました。通知表の成績を見ると「1学期は悪く、2学期、3学期と尻上がりに良くなる」という傾向です。つまりは、こういうことです。自分で言うのもなんですが、私はどちらかと言えばコツコツ型なので、物事の飲み込みは悪いが、コツコツ続けることで、徐々に道が開けるということでした。

実は、これが私の原点

実は、これが私の人材育成に着目した原点でした。世の中には、はじめから8割できてしまう人がいます。その一方で、全くできない人がいます。後者は、まさに私です。今思えば、クルマの免許を取りに教習所に通ったときもそうでした。周囲は、比較的はじめから上手く乗っているのに、私は…という感じでした。ただ、仮免を取るころから加速度的に技術があがり、最終的には教官もほぼ手放し状態になり、難なく免許を取得しました。

というように、人間にははじめからある程度できる人と、コツコツ型でできるようになる人がいます。だから、私は世の中に、私のような人材を見捨ててほしくないという思いから、人材育成分野を専門に研究をしていました。私からすれば、「人に対して使えないなどという言葉は、なんたることだ!」という思いが強かったのです。

警告!!右か左に偏ってしまうと…

ただ…この2年で、それは右か左に偏った誤った思考だということに気が付きました。まさに、パラダイム・シフトです。何でもそうですが、一番強いのは、右か左のどちらかに偏ったものではなく「中庸」です。右に偏れば、左を切り捨てます。でも、左を切り捨てても、また左が存在するので、また左を切り捨てます。でも、また左が存在します。だから、左を切り捨てる…こんなことを繰り返すと、いつしか人は、受容できる範囲が狭くなり、小さな存在になってしまいます。

まさにこれが、パラダイム・シフトが起きる前の私の思考でした。そこで私は、これまで対極にあった「今いる社員は使えない」などの言葉の事実の奥にあるものが何か考えてみました。すると、こんなことが分かったのです。

川魚は海で泳ぎ続けられる?

「人には、それぞれ活きる場所がある。それを超えた領域で活躍しろというのは傲慢であり、その人の人生を不幸にする可能性がる。」と。これは決して、見捨てるという意味は入っていません。例えるなら、「川魚を海で泳がせるようなことはしない」ということです。反対に「マグロに川で泳げと言わない」ということです。

私も最近になりようやく分かったのですが、人にはそれぞれの潜在才能があります。では、その潜在能力はどこからできるかという話にも踏み込みたいのですが、今回は割愛します。とにかく、人にはそれぞれ潜在能力があります。ただ、その潜在能力は、全員一緒ではありません。バラバラです。

でも、今の日本企業は大小問わず、人材育成をする際「対象者の潜在能力」を考慮して育成している人たちはいないでしょう。あるのは、アセスメントによる「傾向分析=タイプ分析」です。もちろん、大企業で早期選抜などをしている企業は、その人の潜在能力を見て「この人は将来伸びそうだ」という判断のもと対象者が決められていると思います。

アセスメントで重視しているのは…

もちろん、その視点は良いのですが、その次に必要なのが「その人と、どの先達を組み合わせれば、想定通り成長するか」でしょう。実は、ここが案外曖昧です。私が尊敬する研究者も結局は、そういった人材を育成するには「修羅場経験が必要」と述べています。

では、その修羅場経験をさせるために企業がどうするかと言えば、非常にサンプル数の少ない中での傾向分析や、◯◯理論という名前のついたアセスメントなどで人柄や性格に代表される人間的側面を見て、人選するでしょう。または先達と組み合わせるときも、潜在能力に関係なく「あの人とあの人は似ているから」「性格的に組み合わせが良いから」「◯◯理論の組み合わせとして良いから」などと、「実」の部分の潜在能力ではなく、人間的な側面を見て判断するでしょう。

つまり、魚で例えれば、日本企業で行われているのは、本当は川魚なのに、早期選抜という大海に投げられ「あなたは魚なんだから、海でも泳げる!」と根性論で言っている可能性が高いということでしょう。もしくは、本当はマグロの稚魚ではないので「あなたは海魚なのだからマグロになれる!」と根性論を言って、マグロでない魚に無理やりマグロにさせようとしているでしょう。川魚はどこまでいっても川魚で海では生きていけません。マグロではない魚は、どこまでいってもマグロにはなれません。

こんな間違いしてませんか?

だから、今の日本企業では、こんなことが起きてる可能性があるのではないでしょうか?

◯川魚に「海で泳いで結果を出せ!」と要求し、泳げないと「使えない」と言ってしまう…

◯川魚に「海は広いから、どんどん泳いで活躍しなさい!」と良かれと思って大きな役割を与え、川魚を弱らせてしまう…

もちろん、私は◯◯理論という名前のついたアセスメントを否定するつもりは一切ありません。これは必須です。ただ、それらはどちらかというと、その人が「どこで活きる何の魚か?」と分析するのではなく、「すでに一種類の魚に決定したうえで、そのなかで、どのような性格か?」という「性格分析」になっているのではないかと思います。

それ人の人生を不幸にしてない?

そろそろ話をまとめましょう。結論はこういうことです。もちろん、人の可能性は無限大であるが、「その人の潜在能力を超える期待を企業側がしてしまうと、本人の人生をを不幸にする可能性がある」ということです。反対に「潜在能力がある人を早く見抜き、そこには早く投資し成長に合わせた役割がないと、それも本人の人生を不幸する可能性がある」ということです。

私の大きな過ち

実際、私も前者のことで、ある社員に人の可能性は無限大という思い込みを押し付け、彼に苦しい思いをさせてしまいました。ですが、彼の潜在能力を「成果の出しやすさ」「効率の良さ」という2軸で定量的に調べたところ、彼の適切な範囲は海ではなく池であることが分かりました。

思い返せば、彼が活き活き働き、良い成果を出しているときは、海での仕事ではなく、池での仕事でした。ただ、それを私を含めた役員の思い込みで「もっと成長できる」と考え、池にいる魚を海に飛び込ませてしまいました。もちろん、その結果は会社に大きな損失を与えるほどのマイナスの結果です。そして本人も顔がつらそうなになり、出社する様子が以前とは違ってきました。

彼の潜在能力を明らめる

私は、池であれば活きる彼を、ムリに荒波の立つ海に飛び込ませていたのです。これでは死んでしまいます。だから、先日からその思い込みの過ちを認め、彼を池に戻し、彼が伸び伸び泳げるようにしました。池にいる魚には、例えば、子どもが「あっ、お魚さんだ!」と楽しませることができます。でも、海にいる魚は、子どもが見えるところにはいないので、楽しませることはできません。

彼にはこれから、池で伸び伸び泳いで、子どもたちを楽しませる才能を十分に発揮していただきたいと思っています。そして、まさにこれが、諦めるの語源「明らめる」なのでしょう。私が彼の潜在能力を明らめることで、今度は、お門違いな要求をしなくなるので、彼が彼らしく人生を歩めるのでしょう。

追伸

そうそう、一つ言い忘れました。。。そもそも潜在能力がどこからできるのか…実はこれ非常に深い話です。最近、私も科学的根拠と、紀元前から続く統計データに基づく学問の両方を学んでわかってきました。ぜひ、その話も今度しようと思います。

あっ、あとSee→Do→Getの原則の話もありました。これも今度!

ー秋山大介